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人生朝露

人生朝露

「如水」の由来と諸子百家。

黒田孝高(官兵衛/如水 1546~1604)
今日は次期大河ドラマの主人公・黒田孝高公について。

参照:Wikipedia 黒田孝高
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E5%AD%9D%E9%AB%98
大河ドラマのタイトルは「軍師官兵衛」。
「秀吉の二兵衛」として「黒田官兵衛」と呼ばれることも多いですが、隠居後の「如水(じょすい)」の名前が印象的で、こちらで親しまれることも多いです。この周辺について図書館をあさっていたんですが、どうも「如水」という名前の由来についてははっきりとしない。

『播磨灘物語』(司馬遼太郎 講談社文庫)。
≪官兵衛の願いどおり、かれは身軽になった。
秀吉の許可によって嫡出の吉兵衛長政が家督を継ぎ、従五位下甲斐守に任ぜられた。齢二十歳である。
官兵衛は隠居が許されれば、
「如水」
という号をつけようと思っていた。「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」という古語からとったのであろう。あるいは「水ハ方円ノ器ニ随フ」という言葉を典拠にしているのかもしれず、いずれにしても勘兵衛という男の号らしい。官兵衛は如水という名で同時代に知られ、さらには後世にもその名で知られている。よほどこの名が、かれにふさわしいということかも知れない。(司馬遼太郎著『播磨灘物語』「如水」より)≫

最も有力な説というのが、『播磨灘物語』にもある「身ハ褒貶毀誉ノ間ニ在リト雖モ心ハ水ノ如ク清シ」「水ハ方円ノ器ニ随フ」。ただし、これも定説には至っていません。

というわけで、諸子百家から「水」にまつわる言葉をいくつか。

まずは「儒家」の荀子。
荀子(Xunzi/Hsun Tzu B.C.313~238) 
『君者儀也、民者景也、儀正而景正。君者槃也、民者水也、槃圓而水圓。君者盂也、盂方而水方。』(『荀子』君道)
→君主は基準であり、民はその影である。基準がまっすぐならば影もまっすぐに伸びる。君主は盆であり、民は水である。盆が円ければ水も円い。君主は碗である。椀が四角ならば水も四角になる。

次は「法家」の韓非子。
韓非子(Han Feizi  B.C.280~233)
『為人君者猶盂也。民猶水也、盂方水方、盂圜水圜。』(『韓非子』外儲説左)
→君たる者は椀であり、民は水である。椀が四角であれば四角く、椀が円であれば円くなる。

「法家」の韓非子は「儒家」の荀子に学んだ人なので、荀子の方が先です。
方は□で円は○の意。白楽天(白居易)の『偶吟詩』では「無情水任方円器 不繋舟随去往風」ともあります。「水は方円の器に随う(水随方円)」「盂方なれば水方なり(盂方水方)」とも言い、現在でも禅語として使われます。荀子では他にも「青は藍より出でて、藍より青し。氷は水これをなして、水より寒し。(出藍の誉れ)」という水の喩えがありますし、「宥坐之器(ゆうざのうつわ)」なども有名。「水と器」の描き方が巧みです。儒家の中でも荀子は時代が下りまして『老子』『荘子』も読んでいますので、孔子や孟子とは毛色が違います。

次は「兵家」の孫子。
孫子(Sunzi  B.C.544-496)。
『夫兵形象水。水之形、避高而趨下。兵之形、避實而擊虛。水因地而制流、兵因敵而制勝。故兵無常勢、水無常形。能因敵變化而取勝、謂之神。故五行無常勝、四時無常位、日有短長、月有死生。』(『孫子』 虚実篇)
→兵の陣形を水のようにかたどる。水の形質は高所を避けて下へと走る。兵の陣形はその実を避け、その虚を撃つ。水がその地形に沿って流れるように、兵は敵の動きに合わせて勝利を制する。故に兵に常勝の態勢はなく、水に常形はない。敵の変化に応じて勝利を勝ち取れること、これを神妙という。故に五行には常の勝者はなく、四季は常に留まらず、日照には長短があり、月には満ち欠けがある。

「水に常形なし」。黒田如水を軍略家として見るならば、これもアリでしょう。

参照:Legend of the Galactic Heroes [Episode 2]
http://www.youtube.com/watch?v=h9NVCObXt1E
典型的、孫子の兵法(7:30~)。

「水」と「器」といえば、「道家」の老子。
老子(Laozi)。
『上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。』(『老子』第八章)
→上善は水のごとし。水は万物を育みながら、それ自体は争わず、しかも人が嫌う低地へ低地へと遷ろう。それ故に道に近い。

『天下莫柔弱於水、而攻堅強者莫之能勝、其無以易之。弱之勝強、柔之勝剛、天下莫不知、莫能行。』(『老子』第七十八章)
→天下に水よりも柔弱なものはないが、堅強な者を攻めるのに水に勝るものはなく、水に代わるものはない。弱が強に勝ち、柔が剛に勝ちうる事を、天下に知らぬ者はいないが、それを行いうる者もない。

『大方無隅、大器晚成。大音希聲、大象無形、道隱無名。夫唯道、善貸且成。』(『老子』第四十一章)
→大いなる方に四隅はなく、大いなる器はいつまでも成らない。大いなる音は耳に届かず、大いなる姿に形はなく、道は隠れて名がない。その生育を善く助けるのは道のみである。

それぞれ、「上善は水のごとし」「柔よく剛を制す」「大器晩成」の語源です。
現在の『老子』のテキストの多くは「上善若水」ですが、古い時代のものでは「上善如水」となっているものもあります。例えば漢代の馬王堆漢墓で発掘された、紀元前2世紀の『老子』は「上善如水」とあります。また「若水」としていても、注釈には「如水」と表記する場合もあります。

老子(Laozi)。
『道沖、而用之或不盈。淵兮以万物之宗。挫其鋭、解其粉、和其光、同其塵。』(『老子』第四章)
→道は虚ろな器である。いくら汲み出しても満たされることはない。底なしの、万物の源のようなものだ。道においては、全ての鋭さは鈍くなり、全ての激しさは解かれ、全ての塵は光と同じくする。

・・・こういうものをまとめると、こうなります。
李 小龍(Bruce Lee 1940~1973)。
“Empty your mind, be formless, shapeless — like water.
 Now you put water in a cup, it becomes the cup;
 You put water into a bottle it becomes the bottle;
 You put it in a teapot it becomes the teapot.
 Now water can flow or it can crash.
 Be water, my friend.(Bruce Lee)”

参照:Bruce Lee - Be Water
http://www.youtube.com/watch?v=MT_nuwm252I

老子(Laozi)。
『持而盈之、不如其已。揣而鋭之、不可長保。金玉滿堂、莫之能守。富貴而驕、自遺其咎。功遂身退天之道。』(『老子』第九章)
→器を持ったまま満たすのを待つのは止めた方がよい。鋭く研ぎすぎた刀は長く使うことはできない。金の財宝を満たすと、堂を守ることはできない。豊かで貴い地位に驕ると、自ずとその咎(とが)を遺す。功を遂げて身を退くことは天の道である。

兼好法師((1283~1352)。
兼好法師もそうですが、俗世から足を洗って隠居するときに『老子』『荘子』を手に取るのは自然なことだと思います。「人に媚びず、富貴を望まず」という黒田家の家訓にもそれは表れています。

参照:兼好法師と荘子 その4。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5174/

で、『荘子』で「水」というと代表的なのは「明鏡止水」とこれ。
荘子 Zhuangzi。
『『彼以利合、此以天屬也。』夫以利合者、迫窮禍患害相棄也。以天屬者、迫窮禍患害相收也。夫相收之與相棄亦遠矣。且君子之交淡若水、小人之交甘若醴。君子淡以親、小人甘以絕。彼無故以合者、則無故以離。」(『荘子』山木 第二十)』
→「宝玉は利害の産物、子供は天からの賜物である。利害によって結ばれた関係は、窮地になると互いに見捨てるようなもの。天によって結ばれた関係は、窮地になるとさらに強く結びつくようになる。」と。君子の交際はまるで水のようにさらりとして、小人の交わりはまるで甘酒のようにどろりとしたものです。君子の親しみは淡泊で、小人の親しみは甘く後味が残ります。理由もなく和合した関係は、理由もなしに離散てしまうものです。」

「君子の交わりは淡き水のごとく、小人の交わりは甘き醴のごとし」。君子は味のない水のようにさらりと交わり、小人は甘酒のようにべたべたと交わる。人間関係を「空気のような関係」とする時がありますが、あれに近いです。日本酒の銘柄「上善如水」の口当たりも、どちらかというと、荘子的。実は『礼記』にも「故君子之接如水、小人之接如醴。君子淡以成、小人甘以壊。(君子は水のように接し、小人は甘酒のように接する。君子はその淡きをもって成り、小人はその甘きをもって壊す)」という言葉がありましてほぼ同じ意味です。

このうち、『荘子』の言葉は禅や茶道の世界では「淡交」として残っています。
茶や禅に関しての出版物を取り扱っている淡交社は荘子に由来します。

参照:Wikipedia 淡交社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%A1%E4%BA%A4%E7%A4%BE

『礼記』の方は、渋沢栄一さんが命名した「如水会」という組織があります。

参照:Wikipedia 如水会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%B0%B4%E4%BC%9A

老子。
江戸時代以降になると、老子や荘子に由来する文化人の号が増えていきます。
↑の絵画は酒井抱一の「老子図」です。彼の抱一は老子の「是以聖人抱一」彼の俳号「屠竜」は荘子の列御寇篇から。松尾芭蕉の「栩々斎(くくさい)」は荘子の「胡蝶の夢」。「蕉散人」も荘子の人間世篇。『雨月物語』の作者・上田秋成の「剪枝畸人」も人間世篇、「鶉居(うずらい)」は天地篇。緒方洪庵の「適々斎」は大宗師篇。坪内逍遥の「逍遥」はもちろん逍遥遊篇。

禅者とも親交があり、茶や連歌もたしなむ人物なので、「如水老荘説」はもっとあっていいと思います。

おもひおく  言の葉なくて  つひにゆく  みちはまよわじ  なるにまかせて  如水

今日はこの辺で。


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